阪神淡路大震災から20年

阪神淡路大震災から20年です。
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てくてくの家は六甲山系の北側で、被害は僅少でしたが、体が飛び上がるほどの強烈な揺れに恐怖を感じた事や、テレビで悲惨な状況を見て愕然とした事を思い出します。
手許に、復興作業の合間、1月26日・2月2日・9日に撮影した数本のフィルムがあります。その中から抜粋した、市街地建物などの一部を訪れてみました。
写真をクリックして頂くと、大きくなります。

平成27年1月17日記
平成7年1月17日夕方の南の空。
煙で黒ずんだ雲です。
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雲の下は、被災地の一部、中央区・兵庫区・長田区になります。

夕闇迫る南の空を、ヘリが狂った様に飛んでいました。
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以下、上が震災当時、下が現在の写真です。

阪急三宮駅ビルです。
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日生ビルです。
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加納町4丁目辺りです。
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中山手のカトリック神戸中央教会です。礼拝堂のあった場所は広場になっていて、礼拝堂は同じ形では再建されていませんでした。
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下山手通の神戸サウナ周辺です。
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阪急三宮駅西側の高架です。
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JR三ノ宮駅側からの「そごう」です。
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そごう東隣、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)看板のかかるビルです。
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今、三宮ビル北館の新築工事中です。

三宮交差点北西側、神戸交通センタービルです。
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そごうの南側、神戸国際会館です。
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その南側、明治生命ビルです。
三和銀行の看板が見えますが、現・三菱東京UFJ銀行です。
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神戸市役所2号館です。
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三宮センター街です。
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神戸市役所西側、西日本銀行看板のかかるビルで、今は「東町・江戸町ビル」になっています。
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西日本銀行は、現・西日本シティ銀行で、今は神戸に支店は無い様です。

京町筋の神栄ビルです。
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大丸の正面です。時計が「5時46分」を指したまま。
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三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)です。
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メリケン波止場の陥没した岸壁です。
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今は復旧し、上の写真の橋脚下「港めぐりメリケンパークのりば」の先に、小さく見える街灯の辺りが、神戸港メモリアルパークとして、現状保存されています。
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陥没した岸壁の南側からです。
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メリケンパーク・海援隊碑の辺りです。
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メリケクバーク広場の南側は、陥没・崩落していました。
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ポートタワーと中突堤です。
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陥没・崩落した岸壁です。
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北側から。
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市街地は、震災を感じさせないほど、復旧しています。
街は、何事もなかったように綺麗になり、賑わっています。
だけど、被災された方々は、どうなんでしょう。

何故、助けてあげられなかったのか・・・
何故、自分だけが残ってしまったのか・・・
折にふれ、自らを責苛なむ方々。

20年の復興住宅返還期限が迫り、退去を迫られる方々。
復興住宅で、孤独死された方々。
復興・再起・自立の為の負債。その重みに苦む方々。
そんな方々が、まだ多くいらっしゃいます。
なのに・・・

  政治って何なんだろう
  行政って何なんだろう
  社会って何なんだろう

「人遇時平笑瞼開」
そんな日は、何時来るのだろう

阪神淡路大震災の「震災後」は、まだ終わっていないのです。




神戸市役所南隣、東遊園地の東南片隅に、「阪神・淡路大震災慰霊と復興のモニュメント」がひっそりとあります。
その地下、円型の空間を取巻くコンクリート壁に、震災で亡くなられた多くの方々のお名前が刻まれた銘板。
その空間に立つと、心ならずも逝かれた方々の、無念・怨念・慟哭を感じます。
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            願わくば
              六千四百有余み霊の
                  安らかならん事を



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